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創価大学教育学会>書庫>2016年 第15回大会研究発表抄録
研究発表B-2

学ぶ「こころ」が輝く学校の創造
~教育の真髄としての「知・情・意」の調和とは~

橋本和男(神奈川県茅ヶ崎市立鶴嶺小学校<前汐見台小学校>校長)

はじめに

昨今、学校の存在意義や目的が問われている。学校は、未来社会を担う子どもに対して教育が行われる場所である。幸せを求め、よりよく生きていくことを学ぶ世界である。いかに時代は変化しても、その理念は不変である。

私は、平成23年4月、新設校の校長として着任した。少子化、高齢化社会への変容のさなか、新しい学校の誕生は、極めて稀な出来事であった。

その「学校創造」のコンセプトは?無から有を生み出す理念とは?様々に思索を巡らせた結果、キーワードは「心こそ大切なれ!」。学ぶ主人公である児童をいかに大切に育んでいくのかへの挑戦が始まった。学ぶ「こころ」が輝く学校の教育活動の展開に取り組んできた三年間。その実践を通して臨床的に考察してきた内容を報告する。

1 一人ひとりの児童を大切にする

1.1子どもが学びの主人公

現行の学習指導要領では、児童の成長像を「知・徳・体のバランスのとれた成長」と表現している。確かに学校では、教育活動を通して偏りのない全人格を育んでいく責任がある。しかし、「知・徳・体」は、教育内容のカテゴリーであり、指導する側(教師)の指導上に留意をしていく意味として使われるべき性格がある。

比して「知・情・意」の調和とは、心の三つの精神作用を表しており、学習者自身が自らの人格として形成していく成長像である。学ぶことに意欲的で自発性があふれる状態を「調和」が図れていると考えたい。

子どもは、その「存在」自体が能動性に富んでいる。成長の可能性が未来に向かって秘めているとも言える。自ら学んでいこうとする姿を尊重する教育を展開したい。「知・情・意」の調和に向かう学びの主人公は、子どもである。

1.2「教育の目標」をおく

教育活動を展開するにあたって、中心的な視点を「学ぶ」という概念を根拠にした。心理学用語の「学習」ではなく、社会通念としての「勉強」でもなく、人間が幸福実現に向かってよりよく生きるために必要な行為を指す。

すなわち、「生きる」ことは「学ぶ」ことと同義であると考える。教育の目的は、教育基本法に端的に表現されている。それは、「人格の完成」である。子どもも大人も全て、教育の機能によりこの人格の完成に向かうものである。

このように考察していくと、「学校」という場の存在意義が新たな視点から見えてくる。学校は、教育にかかわるすべての人にとって「学ぶ」場所であるということである。

では、何のために学ぶのか?その問いの答えはただ一つ。「よりよく生きる」という共通テーマである。本校の教育の目標を「学ぶこころが輝く学校」と置いた。教師、保護者、地域の方々の学びあう関係により、新たな学びの教育コミュニティ形成を実現しようと試みた。

2 実感と共感をパラダイムとする

2.1教師の「ねがい」の教育的妥当性

児童の心身ともに健全な発達には、成長に必要な環境を用意しなければならない。その環境論としての教師のふるまいは影響が大である。児童の前に立つ教師は、目の前にいる子どもに対して、成長への「ねがい」と「思い」が膨らむ。

その共感に根差した授業づくりこそ、児童の成長に直接寄与する。「この子のために」という動機が質の高い学びを生み出す始まりとなる。

2.2「調和する」ことの意味を問う

学校が「学びあう学び」の場所として実現していきたい。自分を取り巻く世界(対象)との出会いと対話を繰り広げていくためには、児童の「こころ」に実感としての理解を届けたい。「驚き」や「発見」などのわかりは、真理の認識である。

また、人間は社会的動物であるがゆえに、一人では生きていけない。人と人との社会的関係において、共感としての理解を深めたい。自分の暮らしの中に生み出すのは、価値の創造である。

児童の成長発達とは、「知・情・意」の調和が図られていくプロセスであると言い換えてもよいと考える。その「調和」には、「実感」と「共感」の伴う経験が不可欠であり、特に、乳幼児期から小学校の時期こそが、「こころ」の基礎を形成する感性に富んでいる。「感じる」という感情や情意の健全な発達は、人間の知性や意志を調え和らぐ源になる。

キーワード:知・情・意の調和、学び