1980年頃から国際問題化した日本の戦争責任に対する「歴史認識」に関する問題は、日中関係、日韓関係に影響が出ている。発端は、1982年に発生した「第一次歴史教科書問題」で、歴史教科書の記述の変化について焦点が当てられた問題となっていた。「教科書」に記述された内容は、日本の歴史認識を表すものであり、外交問題だけでなく学校教育にも影響は出てくるものであると考える。
本報告では、学校教育に関する問題を直接は取り上げないが、「歴史認識」、「歴史教科書問題」全体を踏まえた、日本政府の歴史問題に対する取り組みについて「歴史認識」「歴史教科書」「首相談話」の事項を取り上げ、日本の戦争責任に対する公式の謝罪とそれに反対する政治家等の背景がどのように関連しているのかを考察していく。
広義の歴史認識
▼過去に対する一般的な認識
狭義の歴史認識
▼問題化した歴史認識に限定(東アジア3カ国)
広範な資料に基づいた普遍的な「歴史的事実」は安易な認識である。
▼歴史教育の中での欠点は、歴史理論を学ばない事(細谷2015)。
①個人の体験を通して得られた思い出
②教育などに依って形成された国家・社会に共有された「パブリック・メモリー」
③歴史家が史料の分析を通して導いた学問としての歴史認識
1982年に高等学校の歴史教科書(実教出版)における記述で、太平洋戦争の単元の内容で「侵略」を「進出」に記述を変更した事を報道し、中国や韓国からの抗議を受けた。続けて1986年には、第二次歴史教科書問題が発生し、日本を守る国民会議(現:日本会議)による教科書出版が教科書検定を通過した問題。2001.05年には、「新しい歴史教科書をつくる会」が出版した教科書が検定を通過するなど、日本の歴史認識が問われる問題が次々に現れてきた。
これらの問題に対して、太平洋戦争を美化する見識を表す政治家、閣僚が現れ、国際問題として深刻化していった。
歴史教科書問題への対応として、事ある毎に表明してきた首相談話(官房長官談話含む)がある。談話を表明する事によって、日本の歴史認識と大戦に対する「謝罪」をしてきたが、大戦中の日本を肯定する政治家、集団が反発「拒絶」を示してきた。首相談話は、宮沢談話を始めとして、河野談話、村山談話、最近の安倍談話まで続き、各談話の変遷について追っていく。近年の談話では、政権によって認識の姿勢が異なる内容もあり、歴代の談話を一貫しているとはいえなくなっている。そして、その談話や政治家の拒絶は、歴史教科書にも通じ、日本の歴史認識に大きく影響を及ぼすようになっている。政治家、政治家の背景にある組織・集団の「拒絶」の背景は、自民族中心主義(エスノセントリズム)が基軸になっており(青木2016)、「謝罪」と「拒絶」の繰り返しの要因として考える事が出来る。
歴史教科書問題、歴史認識は、外交問題として尾を引いている状況が続いている。歴史認識の理論、教科書問題、首相談話において問題が拗れている要因は、自民族中心主義の考えを持った政治家、閣僚、関係諸機関が存在していることであると考察出来る。自民族中心主義を越えた認識を構築していく事が、国際問題化し長引いている歴史問題の解決の糸口になっていくのではないだろうか。
キーワード:歴史認識、歴史教科書問題、首相談話、自民族中心主義