これまで小学校社会科産業学習(以下,産業学習)に関する主な研究は,学習内容の科学化を図り,社会科学的な見方・考え方の育成をめざす授業開発が中心であった。これらの研究は,産業従事者の工夫や努力を共感的に理解することを通した,常識的な見方・考え方に留まる産業学習の課題を乗り越える成果として評価されてきた。しかし,カリキュラム論に関しては,ほとんど検討されていない点に課題が残されている。
産業学習は,地理教育の範疇に該当する一領域であり,その重要な目標の1つに,子どもの頭の中に現代地理学を基礎とした世界像を形成することがある。先行研究では,社会認識形成の論理に基づき社会科学的な見方・考え方の育成をめざす授業開発は行われてきたが,上述した世界像形成の論理を踏まえた産業学習の授業開発は行われてない。初等段階における世界像形成に関する研究は,単元を異にして,世界地誌を取り上げた試験的な実践が僅かに見られる程度である。産業学習が地理教育の一領域であることを踏まえれば,社会認識形成と世界像形成の2つの論理を統合した授業開発が求められよう。
このような発想に立つ時,産業学習をカリキュラムレベルで検討する視点が必要となる。わが国の現行の産業学習カリキュラムは,学年段階による内容の配列(シークエンス)を構成する最も基本的な理論的枠組み(フレームワーク)である同心円的拡大法に基づき,第1次産業(農業・水産業),第2次産業(工業),第3次産業(情報産業)の順に学習する構成となっている。これまで同心円的拡大法に基づく小学校社会科カリキュラムに関しては,「国際化,グローバル化が急速に進展しつつある今日,もっと早くから世界・外国に関する内容を取り入れていくべきではないか」や「子どもの発達段階に応じた地理的な学習領域の観点でいえば,12歳の末に至ってはじめて外国が登場するような教育課程は,あたかも『精神の鎖国』を強いる構成となっていると言わざるをえない」等と批判されてきた。一方,産業学習の内容編成に関しては,「産業構造や就業者構造が変化しているにも関わらず,『学習指導要領社会』における第5学年の産業学習は,それに対応していない」や「どのような産業も,国際社会の中に位置づけて考えなければ正しい理解ができない。このような現実から,『国際化』,『情報化』に対応した産業学習の授業設計が今後重要となってくる」等,修正や改善を示唆する指摘がなされてきた。
このような批判や指摘を踏まえるならば,わが国の産業学習は,改めてカリキュラムレベルで見直す必要性に迫られている。すなわち,社会認識形成と世界像形成の2つの論理に基づく社会科地理教育としての産業学習カリキュラムのあり方を検討する必要がある。
本研究では,このような問題意識のもと,英国地理教育に注目し,その中でも『ナショナル・カリキュラム地理』の内容を忠実に反映しているという評価を受け,検定制度の無い英国において,ベストセラーとなった中等地理テキストブック『NEW KEY GEOGRAPHY』シリーズ(Nelson Thornes社)を手がかりとして,上述の論理がどのように反映されているのかを明らかにする。
子供たちが使用するテキストブックを分析対象とする理由は,『ナショナル・カリキュラム地理』や「単元計画例(Scheme of Work)」の構造を分析した先行研究はあるものの,それとテキストブックとの結び付き(反映)については十分に研究されていないからである。また,テキストブックを分析対象とすることにより,英国のそれとわが国の教科書を詳細に比較したり,その成果をもとに改善の方向性を具体的に検討したりすることが可能となるからである。その成果は,教科書研究に寄与することが期待される。
当日の発表では,本シリーズにおける産業学習の全体構成(Ⅱ),第一次産業の内容構成(Ⅲ),第二次産業の内容構成(Ⅳ),第三次産業の内容構成(Ⅴ)を分析した後,本シリーズの特質と意義(Ⅵ)について論じていく予定である。
キーワード:社会認識形成,世界像形成,英国地理教育,産業学習カリキュラム,テキストブック分析