子どもの輝く瞳に出会うたびに,人間の存在の素晴らしさを感じる。筆者は,公立小学校の教員として教壇に立ち33年目を迎えている。その間,どれだけ多くの子どもたちと出会ったであろうか。振り返ってみると,すべての子どもには個性があり,同じ人は一人もいなかった。しかし,どの子どもも「未来に向かって生きている」という観点では,共通であり平等であった。人間がここに存在しているということでは,普遍性の富むことである。
その「未来に向かう」人と人とが関わる仕事として,学校教育に携わってきた。その教育活動に深く関われば関わるほど,筆者の心の中にわき起こる感情は,「子どもって素晴らしい」との認識である。瞳の輝きは,人間という存在の凄さを気づかされる。子どもは身近な対象に対して,自 分の持つ感覚機能をフル稼働させる。そこにある「人・もの・コト」の意味を掴もうと,知的好奇心を引き出しながら「わかる世界」を膨らませていく。その状態は,人間の持つ能動性が引き出されるので,とても瑞々しく感じるのである。対象に夢中になりのめり込む姿,活動に没頭し時の流れを忘れる姿,仲間と共に一緒に関わる姿など,学校では,こうした子どもの学びの姿に出会えるのである。
この児童の学ぶ姿こそ,「知情意の調和」のある成長発達の瞬間である。本稿では,具体的な事実の姿から,教育のあり方について考察したい。
児童を取り巻く世界は深刻な状態にある。社会の急激な変化の中で,知識の洪水に溺れ,本当の意味を理解する暇がない。また,刺激の強い環境の中で,「リアリティー(実)」と「バーチャル(虚)」が混同し,真理そのものが見えにくくなっている。最悪の状況である実と虚の世界の逆転現象も忍び寄ってきている。
人間が人間らしく幸せに生きていくための基盤の形成は,小学校の児童期の教育に依るところが大きい。何故ならば,この時期の発達は著しく環境によって左右されるからである。
こうした状況下おいて筆者は,児童の学びが真に成長に寄与することを願い,能動性が引き出される教育課程の創造に挑戦してきている。その視点は次の二つである。
①児童の「暮らし」と「学び」を繋ぐ
②地域の教育資源を教材化する
学ぶ必然を生み出す実践は,教員の児童に対する成長への「願いと思い」が始まりである。真性(オーセンティック)な学びの実現に向けて,全児童に実感の伴う学びを構想したい。
人間の社会性の発達は,乳幼児期の母親との関係において影響は大である。生理的欲求から始まり社会的参照へ,その成長の速さは顕著である。そして,その関わりは,保育園,幼稚園の仲間や大人と広がっていく。
「児童から見える世界としての他者」という視点から社会性の発達を捉え直したい。小学校に入学し,数多くの他者に出会う。その具体的な心地よい経験が,主体的な関わりを生み出すベースとなっていく。そして,仲間と共に学びあうことの楽しさを味わいながら,人間として善く生きる意味を知るのである。
その発達を促すキーワードは「共感」である。人と人との心の交流によってこそ,自分と他者を結合することができる。社会で生きる意味を知るのである。
様々な教育課題の根源は,人間がもつ「自己中心性」に起因する。人間は元来,「善く生きようとする」存在である。教育の定義は,その前提において「人を人が善くしようとする」働きであり機能である。
成長の可能性とは,善く成長できる環境をいかに整えていくかに係っている。児童にとって「わかる」世界を拡げられる学校を創造したい。瑞々しい感性を有するときに,自分と他者,そして世界を気づかせたい。
こうした知識する学びは,人間性の陶冶に直結し,「自分のため」と「他者のため」が同一となる人格が形成されていくと信じたい。教育こそ平和と調和の世界を実現する唯一の方策である。
キーワード:実感,共感,学び