2011年3月11日の東日本大震災により引き起こされた福島第一原発事故による放射能汚染は国民に大きな衝撃を与えた。事故後の国民の混乱は激しく、なかでも放射能による人体影響に関する正確な情報が乏しかったために、多くの国民が信憑性のない情報に振り回される結果となった。このことは、私たちが科学的リテラシーおよび技術倫理の必要性を改めて強く感じる契機となった。
本学学生に対し原発に関するアンケート調査を行い、学校教育における放射能についての学習経験の有無、原発の可否、放射能による被曝や環境汚染に対する考え方などを調査した。最初の分析の結果、放射能についての学習経験がある者は回答全体にある程度の一貫性がみられるのに対し、ない者は回答にばらつきがある傾向がみられた。また、後者は放射能による影響を比較的課題視していないようであった。子どもたちが、ときにはよくない方向に変化していく社会に対応し、様々な事象に対応しながら自立的に生きていくために必要な知識・技能、問題解決の力を培うことが、現在の学校教育の役割であろう。さきほどのアンケート調査結果からも、科学的根拠に基づいて判断し、自立的な行動につなげていく姿勢の育成がこれからの学校教育に強く求められるようである。
科学的リテラシーに深く関連するものとして、現代の技術倫理がある。科学と技術は、人間の真理の探究と好奇心を基盤に、戦争遂行など非人道的な要因をもとに発展してきた歴史的経緯がある。こうした歴史的事実にも反省が加えられ、人間社会の幸福を視野に入れた技術倫理が確立されつつある。しかし、今回の原発事故は図らずも起こってしまった。いったい、我々に何が足りなかったのだろうか。
人は、個人あるいは集団の欲求と社会的正義との狭間に立たされたとき、何があれば「正しい選択」をすることができるのか。ここでいう「正しい選択」とは、人間的でかつ科学的な合理的判断に基づく選択と言う意味である。それを可能にするのが、一つは科学的リテラシーである。もう一つは、倫理性を基盤にした技術観いわゆる技術倫理であるといえる。すべての人が、科学・技術の意味を慎重に吟味しながら、社会の中でよりよく生きていく上で求められるのが、科学的リテラシーと技術倫理である。
本研究は、理科の各単元あるいは総合学習のなかで、技術倫理とも関連させながらの科学的リテラシーの育成および、学習の人間形成への寄与を模索するものである。具体的には、様々な発電技術と原発の技術的比較などを糸口に、児童生徒が生活上に現れる科学・技術に関連する問題とどう向き合うのかを学ぶ。そのなかで、科学的リテラシーの中核である批判的思考を鍛える授業案を提案し、模擬授業などによって検討を加えていく。
教育に対する先述の社会的要請に応えるとともに、私たち授業者は次のような願いをもっている。
子どもたちが、身近な出来事や人との関わりから地球的問題群までをもとらえる広い視野をもち、経済的繁栄・環境保護・社会正義が同時に追求される人間主義の社会を築く一員であろうとする、地球市民としての素地を育成したいと。そのためには、子どもたちが、様々な課題を自分自身の問題として捉える豊かな人間性、理解と認識を深めようとする姿勢、さらに知識を得ることで現状を見直し、よりよい価値を生もうとする力を育成することが重要である。私たちはその実現をめざし、理科学習では、物質的、知的、文化的環境を形作る科学・技術の概念的知識のみならず、科学・技術そのものについて学ぶことを通じて、学校理科における人間形成を目論む具体的な授業デザインを設計してみたい。
キーワード:科学的リテラシー、技術倫理、原発事故