「視点論」を本研究の中心に据えた理由は2つある。1つ目は、視点が明確になれば教材研究の質が保証されると考えたからである。2つ目は、視点が発問作りのヒントになるため、筆者自身が教材研究を行う際に重視しているからである。どのように教材解釈を行えばよいか、発問を作ればよいか、そのような迷いを解消する一つの方途として「視点論」が有効であると考える。「視点論」は、どのように教材を見るのかを示し、発問作りの手掛かりとなるものである。
「視点論」における「視点」とは、誰の視点から物語が語られているかということである。
「視点論」というと人称的視点論と文芸研が提唱した視点論が挙げられる。それらの「視点論」を以下に示す。
〈内の目〉 →特定の人物の目と心を通って、文学世界を見る視点。(同化体験)
〈外の目〉 →話者の目と心を通って、文学世界を見る視点。(異化体験)
〈内の目と外の目の重なり〉 →〈内の目〉と〈外の目〉の両方の視点から文学世界を見る視点。(共体験)
「視点論」は教材を見る一つの視点を提供しているが、課題もある。それは視点人物、あるいは話者の目と心を通り、文学世界を見ることは、読者主体を失うことになりかねないということである。そのことに関して、小田(1979)は「話者の視点・語り口=文体に収斂する方向と、読み手主体の視点操作に発展する方向の二面を持ちたい」とし、また田近(1979)も「同化とは、(中略)読者の視点を視点人物に重ねることである。つまり、同化は、読者の心情の問題ではなく、あくまで視点の問題なのである」と主張している。小田にしろ、田近にしろ、話者の視点だけでなく読者の視点の重要性を説いている。
これらを踏まえ筆者は、「視点論」とは教材解釈や発問作りの入り口にすぎず、「視点論」に執着してもいけないし、かといって無視してもいけない教材研究の一つの視点であると考える。
人称的視点論による分類と発問作りを試みる。対象は、光村図書の国語科教科書1~6年生までの全文学的文章教材である。各単元を人称的視点論の型に分類し、視点人物を導き出すとともに視点を意識した発問作りを試みる。
何度も繰り返すようだが、「視点論」は教材研究の一つの視点にしかすぎない。そして、あくまでも教材解釈や発問作りの入り口にすぎないと考える。しかし、「視点論」を知ることは教材研究の確かな質を保証するといえる。
キーワード:教材研究、視点論、発問
≪参考文献≫
・小田迪夫「視点論の問題点と今後の課題」、『文芸教育』1979年、第26号、36~43頁。
・西郷竹彦『西郷竹彦文芸・教育全集14』恒文社、1998年。