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創価大学教育学会>書庫>2010年 第9回大会ポスター発表抄録
ポスター発表E-1

創価教育学と教職大学院における研究の共鳴
―牧口常三郎『創価教育学体系』の構想と関連して―

小山 翔(創価大学教職大学院 教職研究科)

はじめに

 「実践的な指導力を備えた新人教員の養成」と「現職教員を対象としたスクールリーダーの養成」を目的とした教職大学院が創設されてから、3年目を迎えた。複雑化する学校教育の課題に対応し得る教員養成が、現代教育における喫緊の課題として教職大学院に求められている。
 本稿では、教職大学院における研究や教員養成の取り組みと、牧口常三郎(以下、牧口)の創価教育学説との関連性を分析していくこととする。

1. 牧口が描いた教員養成の理想像

 牧口は『創価教育学体系』(以下、『体系』)の中で「教育の改造に於ける根底は教師」「初等教育に於ては何よりも先ず最も中心根底の教育機関たる教師の改善進歩に主力を尽くさねばならぬ」と述べ、教員養成(師範教育)の改革に焦点を当てている。牧口には、「医学と教育学は兄弟の如き応用科学」との持論があった。医師や弁護士、薬剤師等に高度専門教育が施されているのを引き合いに出し、「小学校の教師に於ても其等の分業と対等の待遇を受くるためには、一般中等程度の学力の外に職業に対する知識は高等程度のものたるを要する」と述べている。また『体系』では、熟練教師の養成を目的とした「新教員の養成機関」と「指導階級に立つべき優良教員の養成機関」にも言及されている。これらの展望は、教職大学院が「高度職業専門人」の養成を目的とした「専門職大学院」として創設されたことや、「はじめに」で挙げた教職大学院の目的にも通じており、牧口の先見性に現実の制度がようやく追いついてきたといえる。

2. 帰納的研究方法の重視

 牧口は『体系』の中で「新教育学建設のスローガン」の第一として、「経験より出発せよ」との言葉を掲げている。牧口が目指したのは、「教育の事実から帰納して教育の原理に到達せんとする研究方法」であった。それは欧米の新学説の紹介に汲々とし、演繹的な研究態度をとる理論家とは対極に位置するものである。つまり、「自分自身の日々の経験から研究の歩みを起し、其の経験から帰納し確立した原理によって、次の経験を更新」することを志向したのである。

 その一方で、独りよがりの経験のみに頼る教員を決して理想とはしなかった。「経験丈の教育技師も盲目的で、不安に堪えない」「自己一代の貧弱なる、経験にのみ依頼せんとするが如きは不安至極と云わざるを得ない」と断じている。

3. 教職大学院の取り組みとの共鳴

 さらに『体系』には、現在の教職大学院の制度を彷彿とさせるような「創価教育技師養成所」が提案されている。これは、「創価教育学を実現するに任ずるに足る高級なる教育技師の養成を目的とする高等の師範学校」であり、「普通の師範教育の上に創価教育を施さんとするもの」である。具体的には「実習の練習と、学科の研究とを指導する事を二ヶ年の課程」として設け、「練習所たる付属小学校は半日制度」とする制度設計となっている。そして、「何物かの自発的研究に因って被教育者指導の能力を発揮」しながら、最終的には「検定試験に合格する学力を得しめ、模範となって小学校教員を指導し得る学力と技術」を身につけていく。

 こうした牧口の構想は、教職大学院における取り組みと多くの点で一致している。教職大学院における学びの特色の一つは、各人の経験が重要な地位を占めているという点である。現職教員の学生は、今まで現場で蓄積してきた経験を理論面から裏付け、再構成していける。「ストレートマスター」と呼ばれる学部新卒の学生であっても、独自の「研究課題」を掲げて大学院の学びと実習校での実践を絶えず往還させながら、より高い次元の実践を目指していける。実習校での授業を収録して授業記録として蓄積し、日々の授業や研究の材料としている学生も数多い。教職大学院の修了にあたっては「リフレクションペーパー(教育実践研究報告書)」の執筆が研究の集大成として課せられる。ここでも各人の経験に理論的な裏付けを施し、新たな原理・原則を編み出そうとする取り組みがなされている。

 牧口は、「創価教育学は主として之が為の研究」として最重要視した「半日学校制度」の意義を、「学習生活中で実際生活も、実際生活の中に於て学習生活をもなさしめつつ一生を通じ、修養に努めしめる様に仕向ける」ことにあると強調している。ゆえに、教職大学院を修了することがゴールでは決してない。学校現場において中核を担う「スクールリーダー」として実践を積み重ね、自身の教育観を自己更新し続けていける教員を輩出していくことが、教職大学院に課せられた大きな役割である。

キーワード:教職大学院、牧口常三郎、『創価教育学体系』