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創価大学教育学会>書庫>2010年 第9回大会口頭発表抄録
口頭発表D-2

「実感」を育む教育―生活綴方的教育方法を手がかりとして―

三浦 剛(創価大学教職大学院 教職研究科)

はじめに

 近年における社会状況を鑑みたとき、高度な情報化社会を迎えたことによる弊害が数多く存在していることは疑うまでもない。仮想現実(バーチャル)の肥大化による実感の欠如や、ネット犯罪の増加、多種多様な情報の氾濫によって引き起こされるモラルの低下など、その問題を挙げれば枚挙に暇がない。(『情報教育の実践と学校の情報化~新「情報化に関する手引き」~』平成14年6月 文部科学省参照のこと)こうした問題は、全うな規範意識を養育する上で、深刻な弊害となっている。したがって、このような状況を見極め、問題の所在とその対処法を明らかにしていくことは、今日の教育に託された喫緊の課題であるといえよう。本発表では、こうした問題の中から、情報化社会の進展に伴う「実感の喪失」に焦点を置きながら今後の教育の在り方について論究していきたいと考えている。

1.生活綴方的教育方法

 日本が独自に培ってきた教育方法の一つに、「生活綴方」がある。生活綴方は、戦前から戦後にかけて、国定のカリキュラムとは別に取り組まれてきた、いわゆる「書くこと」による教育実践である。国分一太郎によれば、生活綴方は、子どもがそれぞれに持っている見方や考え方、感じ方で捉えた世界を、事実にもとづきながら、あるいは実感をもととしながら、「書くこと」を通して自分のコトバで表現させるものであるという。こうした生活綴方から発展した教育実践として、「生活綴方的教育方法」がある。国分は、この生活綴方的教育方法を個々がもつ感じ方や考え方、生活経験をもととしながら、認識を構築する教育手段として位置付けている。

2.「実感」を育む

2-1.東井義雄の理論と実践

 昭和を代表する実践家の一人、東井義雄は、生活綴方的教育方法について次のように論じている。「文を書くとか書かないとかいうことはひとまずあずけて、とにかく、子どもの、ものの見方・感じ方・考え方・行ない方・生き方そのものをゆり動かし、もりあげ、客観性のあるものに拡げ、ねうちのあるものに高めていこうという考え方、これが『生活綴方的教育方法』なのだと考えている。」(「小学校、高学年の場合における適用」東井義雄『講座・生活綴方4』百合出版1962年243頁)一方、教育における取り組みの在り方については、「ほんとうの認識、ほんとうの知恵が育つためには、身のまわりの物ごとが『自分の問題』にならなければならぬ」(同著)と言及し、「自分の問題」として引き付ける方法こそ、生活綴方的教育方法であるとしている。(紙幅の都合上、東井の実践は割愛する。)

2-2.吉田昇と勝田守一の見解

 吉田昇は、著書『現代学習指導論』(明治図書 1963)の中で、東井の実践が、オルポートの示唆する「プロプリウム的希求の考え方に照応するもの」であると言及し、高く評価している。ここで吉田は、東井の示す理論と実践が、「自分のもの」としての感覚を子どもに根付かせるものになり得ていることを示唆している。他方、勝田守一は、著書『講座学校教育 第四巻』(明治図書 1956)の中で、生活綴方を基盤に置いた実践が、「主体的真実」を実らせる方法になり得ていることを示唆している。ここにおいて勝田が示す見解も、生活綴方的教育方法が「実感」を育む教育になり得ていることを表わしているといえよう。

2-3.生活綴方的教育方法の限界と展望

 しかしその一方で、鶴見俊輔・久野収・田村省三らは、東井をはじめとする生活綴方論者が行う教育実践が、実感主義の域を抜け出さない教育論であるとして、批判的な見解を述べている。この点については、国分も「究極において体系的な知識を子どもに獲得させるということはできない」として、その限界を自覚している。これに対し吉田は、こうした問題を乗り越える手段を東井が提唱する「生活の論理」に求めており、子どもの内面に備わる固有の思考に肉薄した実践が、実感主義の克服につながることを示唆している。

おわりに

 生活綴方的教育方法を手段として、子どもの「実感」を育てることは、現代の教育事情における有益な実践論として提案できるのではないだろうか。

キーワード:実感、生活綴方、東井義雄