こんにちは。ただ今、木全先生からずいぶん持ち上げたご紹介をいただいて恐縮しております。たしかに私は、この教職大学院ということにかかわってきましたので、今日は、どういう期待をもってこの制度がスタートしたのかということについてお話ししてみたいと思っております。大きな夢を描いてスタートしたわけですが、まだ始まって1年です。したがって、課題がいっぱいです。ですから、そのなかでどういうことを考えてこれから取り組んでいかなければならないのか、ということについて少しお話ししてみたいと思っております。
その前に、実は私、創価大学の素晴らしい評判は長く耳にしてきました。同時にすごい実績を挙げてこられたことも知っております。そのキャンパスに今日来れたというのは非常にうれしいことと思っております。しかも桜が二分咲き三分咲きで、ちょうどいいときです。これから満開になったら、どんなに素晴らしいだろうと思っております。教職大学院もまだ一分咲き、二分咲きみたいなものです。
さて、今日は教職大学院について少しお話しをしますが、今から3年ほど前になります。中央教育審議会の教員養成部会を中心にずっと議論してきまして、学校の先生方にもっと力をつけていただき、同時にもっと世の中から尊敬される、信頼される、そういうふうになるためにいくつかのことをやらなければならない、ということで答申を出しました。
その内容は三つあります。一つは、教員養成の中に教職実践という新しい科目を入れたりして少しカリキュラムを変えました。ですから、教員免許をもらうためのカリキュラムが少し変わりました。二番目に、教員の免許の更新制というのを導入しました。これについてはすごい議論がありました。ただ、最後にはみんな一致しました。たしかにこれは、いろいろと政治的な絡みもあって出てきた話です。はじめは、10年に一度の免許更新ということにして、力のない先生、意欲のない先生はそこでやめてもらおうという話でした。しかし、そんなことはできるだろうか、そういう無理なことをすると結局、へんなバイアスがかかったりパージが行われたりして困るのでは、という議論がありました。たしかに小中高の先生だけでも100万人いますから、それだけいれば中には問題のある先生もいます。でもそれは、免許更新というかたちでやるのではなく、もっと日常的にきめ細かく見ていって、必要であればその人たちにもう一度研修の機会を与えて、1年間研修してもらった後に、うまくなってきたかどうかを公正公平なかたちで判定し、それでもだめだったら教壇から降りてもらうというふうにしなければならない。免許更新制と今の力量不足、あるいは使命感不足の先生は教壇から降りてもらうという話をリンクしてはいけないというふうに、話が一致しました。その過程ではいろいろな意見がありましたが、最後には一致しました。
ちなみに、問題のある先生、力量不足の先生をどうするかについては2001年に、地方教育行政の組織及び運営に関する法律の改正の中で、現場で見ていて「まずいな」という先生は一年間研修に出てもらって、その後に判定してやっぱりだめということだったら教壇から降りて別の仕事についてもらうということを入れました。同時にこれは私もだいぶかかわりましたが、1年ちょっと前に教育職員免許法とそれから教育公務員特別法、この二つの改正の中で、これが公正公平なかたちでやられるような項目を入れました。ですから、これはこれで別枠です。くどく言いますが、どんな世界でも100万人もいれば困った人がいないわけがない。毎日のように新聞に出ていますが、私はよく言っています。毎日のように新聞に載るような問題があるから今の教師はだめだというのはまったく判断ミスであって、毎日一人ずつ出たとしても一年で365人ではないかと。100万人の中の365人にすぎない。もちろん、これは冗談ですが。
一つの困った事例を言い立てて、今の先生は全部だめだと言いたがる向きが一部にあります。しかし、それは絶対にあってはいけないことです。では、今の免許更新制はどういう意味でつくったかといえば、10年ごとにリニューアル、つまりもう一度勉強のし直しをしようということです。10年すれば指導要領も変わります。今度、高等学校と特別支援教育の指導要領も3月9日に無事に告示されました。そして、幼小中の教育要領、指導要領は昨年の3月26日でしたか告示されました。一応これも、私が責任者です。どういう議論があったかおもしろいので紹介しましょう。親部会は30人くらいいる。教育過程部会です。その下に19の専門部会をつくってやった。全部で500人くらいですが、みんな話がちぐはぐになる。理数系が大事という人もいれば、もっと伝統文化をやれという意見もある。英語が大事だという人もいる。それぞれの専門部会はそれで突っ走る。それを調整するのが大変でした。私は人間は弱いのですが声が大きいので、何とか調整しましたが…。
ということで、10年もたてば指導要領も変わります。今回の指導要領は、子どもたちに生きる力をつける、しかしその生きる力というのは10年前に言われた生きる力とは違う、10年前に言われた生きる力というのはゆとりの中でつけるもので、つまり学校の勉強と違うところでつけるというものでした。しかし今度は、勉強を通じて生きる力をつけようということです。自ら学び自ら考えるのが生きる力と言われたけれど、そういう部分も必要ですが、きちんと教えないといけないところもある。説明しないといけないところもある、だめと言わなければいけないところもある。
授業というか教育には「出」と「入り」があります。「出」と「入り」というのはどういうことかというと、先生が前に出て説明したり、「こういうことをやってみようね」と呼びかけをしてみんなを引っ張っていったり、あるいは「だめ、だめ」と言ってだめを出したり、これらは教師主導型の場面です。これが「出」です。教師の「出」の場面です。そしてもう一つ、「入り」の場面があります。いつもそうやっていたら、子どもは受け身になってしまう。やっぱり子どもは主体的にならないといけないわけですから、そうすると、「よし、キミたちね、こういうことが大事だと思ったら自分で調べてみんなの前で発表してごらん」とか、あるいは「これね、先生言ってあげたいけれど、この問題は自分で解決しなければいけません」と言わなければならない場面も必要です。これはよく、自力解決と言われる。自分だけで解決することもつくってあげないといけない、これが「入り」です。先生は後ろに退いて、言いたくてイライラするけれど、黙って子どもたちにやらせるということも必要です。
このように「出」と「入り」の両方が必要です。でも10年前は「入り」ばかりが言われていた。あるいは20年前も言われていた。1990年代です。その結果どうなったか。とんでもない人がたくさんいました。たとえば、学校というのは「メダカの学校」にならなければいけないなどと言っていた人がいました。文部省(当時)の調査官にもいたし、都道府県やら市町村の指導主事にもいました。教育学者にもいました。とんでもないことです。言うまでもなく、「メダカの学校」というのは「だれが生徒か先生か~」という童謡です。これは「入り」の最たるものです。私はよく言っていました。それでいいんだったら、先生は給料をもらってはいけない、と。子どもはもらっていないのですから。はっきり言って、だれが生徒か先生かわからないようなそういう先生は要りません。先生は先生でなければいけない。師弟関係というのはきちっとなければ教育はできません。ただ、その師弟関係がうまく動くためには、つねに教師主導型ではなくて「出」と「入り」がなければならない。子ども中心の場面と教師中心の場面と両方なければならないのです。
みなさん、法華経の○○に「開示悟入」というのがあるのをご存知ですか? これは牧口先生も書いておられます。私も牧口先生の全集を持っていますが、その中の二箇所で、「開示悟入で教育をしなければならない」ということを書いておられます。つまり、子どもの心を開く、教材の世界を開く、これは教師主導の場面です。「出」です。それから「示す」。「開示悟入」の「示」です。大事なことはきちっと示さなければならない。これは教師主導です。そして「悟」。悟らしむる。悟らしむるというのは、こう悟れといっても無理です。自分でやって「うん、なるほどな」と悟らせる。これは子ども中心です。それから最後の「入」。「入らしむる」。これは「出」と「入り」と両方あります。
自分の身について、本当に生きて働く力になるためには、教師もアドバイスをしなければいけませんが、でも根本は、本人がその気になっていろいろなところに生かしてみようという気がなければ身につきません。したがって「開示悟入」から言うと、「開く」と「示」は教師主導、「悟」は学習者中心、「入」というのは学習者中心だけれどもそこに教師主導の部分も入ってくる。これは私も30年前から言っています。著書にも以前から書いています。しかし、なかなか聞いてくれないのが実情です。
というのも、どうしてもきれいごとで、「入り」だけでいいような、「出」のない授業をしなければいけないようなことがあったからです。90年代もそうでしたし2000年代に入ってからもそうでした。それを今回、「出」も「入り」も両方大事ですよ、ということに改めました。つまり、生きる力というのは自ら学び自ら考える力だけではありません。同時に、きちっと基礎基本をわからせる、あるいは活用の力を身につけさせる。そういう場もつくらなければならないし、指導もしなければならない。ですから私は、今回の指導要領は本当にきちっとした力量を持った先生しかできないと思っています。
生きる力ということでもう一つ言うなら、これまで長く、世の中に出てから役に立つ力みたいな言い方がされてきました。言わば社会で生きる力で、私が以前から使っている言葉で言うと、「われの世界」を生きる力です。
世の中って大事です。社会は大事です。子どもたちが大きくなって世の中に出て、就職して職業的な役割を担ったり、あるいは結婚して親の役割を担ったりするようになる。世の中に出れば、男女だとか仕事の上だとか年齢だとか、いろいろなことで役割が振りかかってくるわけです。これをきちっとこなしていかなければ、世の中の一員として失格です。これが「われわれの世界」を生きる力ということです。「われわれの世界」というのは、世の中、世間ということです。社会ということです。
でも考えてみてください。人間は世の中で生きていくわけですが、同時に一人で生まれ一人で生きて、一人で死んでいきます。たとえばわかりやすい例で言うと、定年からあとのことを考えてみてください。いつまでも世の中ではありません。「自分は5年前までは校長だった」と言ってみても、「ああそうですか、お元気でね」と言われて終わりです。毎日が日曜日になる時期だってあるわけです。"サンデー毎日"があるわけです。そういうときに、自分で自分を支える力、自分で自分をワクワクさせる力、ドキドキさせる力、あるいは自分でどういうふうにすれば今日もピンと元気よく生きられるか、今日一日充実していたなあ、と思えるようになるのか。それには、若いときから、あるいは小さいときから、そういうことの言わば修行をしていなければなりません。それができていないために、定年になったとたんにショボンとしてしまう人がたくさんいるわけです。現役のときはあれだけ偉くて胸張って、見かけもよくて貫祿もあったのに、という人が定年になって1年、2年したらショボンとなってしまう人がよくいます。ワクワク、イキイキ、ドキドキがないので、やがては昼間から酒を飲むようになる。そうなると、あとは長くありません。つまり、アルコールの力でワクワクドキドキを得ようとするような人が出てくるわけです。でもアルコールではなく、いい絵を見てドキドキする、いい音楽を聴いてドキドキする、いい本を読んでドキドキする、あるいは「今日一日、これだけはやろう」と自分なりに課題をつくって、それで充実する。こういうことができるようになっていないといけない。これが、「われの世界」を生きるということです。
こうしたことから、昨年1月に答申を出した学習指導要領の改訂にあたっては、一応私が責任者ということになっていることもあり、生きる力のところで、世の中に出て必要になる力と同時に豊かな人生を送るために必要な力ということをきちっと入れておきました。つまり、「われわれの世界」を生きる力であると同時に「われの世界」を生きる力です。これは、学校でやる教科を見ても実はそうなっています。国語、算数、理科、社会、外国語などは基本的には世の中で必要なことです。ところが、音楽などというのは世の中に出てから必要になりますか?これでメシを食おうというのはよほど特殊な人です。あるいは美術や図工、これでメシを食おうというのも特殊な人です。世の中の役にはなかなかなれない。でもなぜ義務教育で全員にやらせるのか。実際、改訂に際しても、あれも必要だ、これも必要だという話が出ました。音楽や図工、美術は選択にしようという話が出てきた時期もあります。たしかに、「われわれの世界」を生きるだけだったらそれでもいいでしょう。世の中で役に立つことだけを学校でやるんだったら、選択でもいいでしょう。しかし、音楽や図工、美術などは基本的には「われの世界」の話です。たとえば私が美しい音楽に触れて、そして自分の音楽的な感性が耕されていっていろいろなことにワクワクする世界が広がる、あるいは深まる。
図工や美術もそうです。たとえばここに一つの壺があったとしましょう。一見「何だ、こんな壺か」と思えるものでも、それまでいろいろないい壺に出会っている人にとっては、味わいが深くなることが少なくありません。私も壺が好きで、いくつか持っています。人からもらったものなど麗々しいものも若干はありますが、30年以上前に韓国に行った際に窯元を訪ねて求めた壺が今でも大好きです。だれの作品かわからないし、箱書きもありません。テレビの『なんでも鑑定団』に出したって、ほとんど値段なんてつかないと思いますけど、でも私はそれが好きです。いいものというのは、何度見ても、何年、何十年見てもいい。疲れたときなど夜中にそれを眺め、「イッヒッヒッ」と一人ほくそ笑んだりしています。ただ、あまりそればかりになるとそういうものをもてあそんで志を失うということはあるけれども、やっぱり癒しの部分が見逃せません。これなどは、世の中で役に立つという話とは違います。私自身の世界を豊かにするだけです。あるいは国語などでも、今、言葉の力と言われますが、これは論理の力であったり、あるいは概念をきちっと操る力であったりすることです。だから、国語で言葉の力をつけてどの教科でもそういうものができるように役に立つようにしよう、というのが今度の指導要領改訂で提案されているわけです。
でも、考えてみてください。詩やら何やらというのは、これとはあまり関係のないことです。金子みすずの詩に、今日は浜は大漁だ、でも海の底ではたくさんのお葬式が出ているだろうな、といった作品があります。世の中的に言ってしまうと、「まあ、それはそういう見方もあるだろうな」で終わってしまいます。「だからどうだっていうの」という話です。たしかに、浜が大漁ならそれでいい。「海の底ではたくさんのお葬式が出ているだろうななんて、そんなのうがちすぎだろう」という話になりでしょう。
しかし考えてみてください。「われの世界」的に言うと、私たちは自分の命を支えるためにいろいろな命を供給してもらわないと生きていけません。そういう構造になっています。魚であろうと肉であろうと、元は命です。あるいは米であろうと野菜であろうと、命です。私たちは毎日毎日これを供給してもらってはじめて命を持ちこたえることができるわけです。だから、私たちにとっておいしいものがたくさんあるということは同時に、多くの命が失われることでもあるわけです。私たちは命の循環の中で生きているのであって、「私は私じゃあ」などと独立した存在であるかのように思いがちですが、それは実はあり得ない。命の循環の中に私もあって、だから私にとっては、たとえば浜は大漁であったとしてもそれだけで喜んではいけない。私たちのために、私の今日の命を支えるために失われる命というのもやはり、共感をもってどこかで思い起こさなければいけない部分があるわけです。金子みずずの詩も、そういったことをうたっているのではないでしょうか。
何度も言いますが、これは決して世の中的ではありません。世の中的というのは、どうしたらもっと大漁になるかとか、大漁になったらどうやって市場に出せば値崩れを防げるかといったことになります。経済合理性、効率性みたいなものになって、そしておいしく食べられればいい、ということになります。しかし視点を変えれば、もっと根本的に、私も生きている、お魚さんも生きている、何もかも生きている、というそういう生命の大きな海みたいな中に私がいるんだ、ということにハッと気づくような、そういうものもあるわけです。ここ(新しい指導要領)でやる文学教材というのは、そういう部分がたくさんあります。「われわれの世界」的なものもありますが、「われの世界」的なものも盛り込んでいます。
生きる力というのを、世の中に出てから使える力とかそういうふうに矮小化して考えてはいけません。いちばん大事なのは、「われの世界」をどう生きるかです。「われの世界」から言ったら男も女もないし、若いも年寄りもないし、大きな家に住んでいるかそうでないかといいったこともない。3ナンバーに乗っているかどうかというのもない。そうしたことは「われわれの世界」的には意味がありますが、「われの世界」的には意味がない。「われの世界」で大切なのは、私が今日、あるいはこのときをどう充実して生きられるかであり、もっと長く見れば、ひとりで生まれてきて、命をもらって、この命を自分で生きていく、そしてどういうふうに死んでいくかです。ただ、その命を生きていくなかでひとりでは生きていけない。やはり群れとして生きていく。これが「われわれの世界」です。だから、順番を忘れてはいけない。コマーシャルが時々入りますが、このことは私のいちばん新しい著書『自己を生きるという意識』にも書いておきましたので、ぜひ一度読んでみてください。
それはさておき、生きる力というのはやはり、いろいろな意味であまりにも矮小化されて語られてきたと思っております。先ほども言いましたように、教育にはやはり「出」と「入り」の両方があります。にもかかわらず「入り」だけで語られてきたきらいがあります。勉強ということを中心にやるのが学校です。学校というのは楽しむために行くところではありません。洋の東西、時代の古今を問わず、学校というのは勉強するために行くところです。賢くなるために行くところです。ところが、世の中が成熟するというか爛熟してくるとどうしても、「勉強なんかかわいそうでしょ」という話になってくる。それは教師が悪いからです。勉強はつらいけれど、それをおもしろくするにはどうしたらいいか、これを考えるのが教師です。子どもがひとりでやったら大変だけれども、この教材を準備してこの筋道を指導してあげたら、「あっ、わかった」と達成感を持つ。「自分でも頑張ればわかるんだな」と。そしてそれが自信になって、「よし、つらいけれどまたやってやるぞ」という意欲が出てくる。これが教師がやる仕事です。
これまで矮小化されてきたものをもう一度見直して本当の教育のほうに近づけよう、というのが今度の指導要領の改訂だったのです。でもこれをやるためには、教師の力、こんどの指導要領に本当に魂を入れるためには、本当の教師がいないとできない。ですから今回の改訂と、たとえば教職大学院をつくる、あるいはさっきの10年に一回の学びのリニューアルという免許更新講習をやる。みんなこれは裏表です。こうしたことを私が以前から言ってきたこともあってか、私は両方とも部会長をやっています。声が大きいからだけはありません。もちろんそれもあるかもしれませんが、両方の部会長をやらされたというのは、みんながこれは関連がある、裏表だ、と考えているからだと思っています。
で、教職大学院ですが、この時期にそういうことのために特別な大学院をつくろうということになったわけです。特別のというのは、今までもマスターコースで現職の先生が学び直すということはありました。マスターコースまでで小学校でも中学校でも高校でも、学部だけで教壇に立てるのですが、マスターまで進んでさらに勉強したうえで教壇に立とうというケースもありました。それからもうひとつ言うと、学部は工学部出ようと理学部出ようと何学部を出ようといいのですが、ハッと思ってもう一度小学校の教員の免許をどこかで取ろうというケースもありました。したがって、教職大学院で今やっているのは新しくないといえば新しくないかもしれませんが、それをひとつのまとまった制度としてつくろうということで今度出てきたわけです。
ですから、教職大学院には三種類の学習者がいます。ひとつは、すでに現職の先生で、新たに時代のいちばん新しいところ、学問のいちばん新しいところを踏まえ、あるいは子どもやら親のいちばん新しい動向を踏まえて、この時点で学び直しをきちっとやるぞ、という先生です。言わば現職教育の面がひとつあります。もうひとつは、本当は小学校だったら短大でもいいのですが、でも4年制に行けば、御の字です。あるいは中高だって4年間でいいわけです。しかし、あとプラスアルファ、2年間もう少し高度なことをやろうという、よく言われるスーパールーキーです。ルーキーというのは新人で、教師の世界も今までの新人以上の力量をつけたスーパールーキーが活躍することが大事です。これがストレートマスターです。そしてもうひとつは、今までいろいろなことをやろうと思ってそれぞれの学部を出たけれど、卒業してみたらやっぱり小学校の先生やりたいな、とか、すでに会社勤めをしているけれど自分の天職は小学校の先生じゃないかな、と思った、といった人たちです。そのためにレベルの高いきちっとした中で学び直しをやろう、という人たちです。この創価大学にも、3年間の小学校教員養成課程があります。
このように三種類の学習者がいて、この三種類をきちっとひとつの制度設計の中でやろうというのが今回の教職大学院です。その中で何が語られたか。教職大学院というのは新しい制度ですが、実はその前に、30年前に発足した新構想大学というのがあります。私が今いる兵庫教育大学、これはいちばん最初で、そのあと上越教育大学と鳴門教育大学ができました。これら教職大学院はある種、新構想大学の見果てぬ夢を実現するためのリバイバルみたいなところがあります。こんなことを言うと新構想大学の関係者に叱られてしまうかもしれませんが、それは事実です。
というのも、私は兵庫教育大学に行って4年ちょっとになりますが、行くときまったときにこんなことがありました。私はいわゆる落下傘で外から行くことになったのですが、当時、中教審、2001年2月から大型の中教審になったのですが、その時に私は最初から教育課程部会のメンバーに入っていました。でも、その他はお呼びではなかった。ところが第二期の終わりくらいでした。中教審は2年ごとに入れ替えがあるのですが、第二期の終わりくらい、つまり私が兵庫教育大学に行くということがきまったときに、教員養成部会にも入ってくれと言われて、私は入りました。もちろん、まとめ役ではなくヒラで入りました。そしてそこで何をやっていたかというと、兵庫教育大学や上越教育大学、鳴門教育大学は特別にお金を投入してつくったのに、これが全然役に立っていないというのをみんなで話し合っていたのです。私は新参者ですから、最初から大きな声で発言するわけにもいかず、ただ聞いていました。すると二回目は、新構想大学をつくるときに尽力されたいちばん若手の人、といっても30年前ですから今はもうおじいさんになっています。その方をお呼びして、なぜ新構想大学がうまくいかないのか、そういうお話しがあったわけです。私は、せっかく兵庫教育大学に行くときまったのに兵庫教育大学が打たれっぱなしでは困るので、そのときから発言をはじめたのです。
そのときの話し合いの内容がどんなことだったかと言えば、およそ次のようなことです。それまで教員養成は、国立の東京学芸大学であるとか何々大学教育学部とかでやってきた。マスターはなかったけれど、そこで教員養成をやってきた。その基礎は、120~30年前にできた師範学校です。これをずっと持ってきて、戦後それを学芸学部とか学芸大学とかにして、その後名称変更で教育学部とか教育大学になったわけです。ところが、これではなかなかうまくいかない、という議論が出てきて、それでまず第一に、現職の先生の学び直しのための場をつくろうということになった。当時、教育学部とかいろいろなところはマスターを持っていませんでしたから、それにつけるのもおかしいので、まずモデル的にそれを中心とした大学をつくろうということになったわけです。ですから兵庫教育大学はマスターコースから発足しました。で、入学定員はマスターコースが300人です。あと、学部をつくったのですがこちらは160人。学部より今でもマスターのほうが大きい。鳴門教育大学や上越教育大学も構図は同じです。大学院のほうが大きい。学部をつくったというのは、大学院中心の学び直しのための先生方の設備、そういう教育状況を生かして今までにないもっと中身の充実した教員養成をやろうということからです。
これがうまくいっていないというのはどういうことかというと、学び直しに人が来なくなっているということです。なぜかというと、私から言わせるとお国が悪い。というのもまず第一に、兵庫教育大学などは2年間通わなければならない。でも他のところだったら、14条特例と言って現職の先生は1年行けばマスターをもらえる。2年間と1年間では大きな違いです。そしてはじめは、マスターは三つの新構想大学しかなかったのに、全部つくってしまった。いろいろなところに。当然、みんな近いところに行きます。近いところで、しかも1年でもらえるところに行きます。それと、もともと派遣で行ってもらう、給料もらって勉強するという話だったのが、都道府県がお金がなくなって給料出して行かせるのが困難になってきた。となれば当然少なくなります。今、兵庫教育大学には700人くらいマスターコースの院生がいますが、そのうち現職の先生は300人足らずです。その中で派遣で給料をもらいながら来ているのは250人程度です。あとは休職のかたちで来ている。あるいは夜間です。250人を確保するのは、これはもう最大限です。学長の仕事というのは、兵庫教育大学で言えばいちばん大きいのは営業活動です。都道府県教育委員会を回って、教育長さんにお会いし、いろいろお話しをする。そうするとみんなわかってくださる。「いいプログラムですねえ」と、で結局帰るときには、「いいんですけど、うちお金がなくてねえ」と、それで終わりです。私も大学の学長というのはもう少し中身のあることをやれるのかと思っていたら、揉み手です。
それからもうひとつ、レベルの問題があります。レベルの高い教員養成が求められ、レベルが高ければ採用率もよくなります。ありがたいことに兵庫教育大学はダントツで一位です。創価大学もとてもいい。しかし、うまくいっていないところもあります。
30年前に、今の教職大学院と似たような理念、構想で三つの大学ができたけれども、なかなかうまくいっていないという議論があり、私は教員養成部会に入って、弁解もたくさんしました。でも本心を言うと、確かにそうだな、ということもあります。で、今度は本当に学び直しをたった三大学でやるのではなく、やはり全国で国立も公立も私立も、そういう設置者は別にして、きちんとした現職の先生の学び直しができる場をつくろうということになったわけです。そして、スーパールーキーをつくるのにしてもこれも三大学だけで考えるのではなく、本当に考える大学を各地につくろうと。それから先ほど言いました、これは30年前の新構想大学のときは言われなかったけれど、他の道に行った人で、そういう多様な経験を持った人がやはりもっと教壇に来てもらったほうがいい、それも考えようということで、今度教職大学院ができたわけです。そして、そのときにはやはり、30年の新構想大学の歴史、あるいはその間の各地の教員養成系の国立大学とか私立大学の様子、これを見たときに、どうしても困ったことが若干あるからそれを是正しようということになりました。この二つですが、これは結局、裏表です。
教職大学院は大学院ですが、大学院というとこれまでは、非常にアカデミックなことを強調しすぎていたのです。そうではなく、もっとプラクティカルなことを考えよう、アカデミックなことも必要だけれども、プラクティカルなことに結びつかないアカデミックは困るということです。大学院というと何か、象牙の塔というイメージで、世の中の役に立たない大学みたいな感じがあります。それでは困るわけで、教員の学び直しの大学院である、スーパールーキーをつくる大学院である。プラクティカル、教育実践ということ。これが非常に大事なことです。
そのためには座学だけではなく、講義や演習だけではなく、現場に入っての実習を大事にしなければなりません。とくにインターンシップ的な実習です。もう免許は持っているわけですから、いわゆる教員免許を取るための実習とはまったく意味がちがいます。たとえば将来管理職になる人のための実習は、兵庫教育大学でもやっています。校長先生や教頭先生の後ろについて歩いて、どんな行動をしたかを観察させます。「何時何分、校長先生が教育委員会に電話していた」とか「中身はなんである」。「何時何分、校長先生が教頭先生にこういう指示を出していた」。「教頭先生は何時何分、グルッと回って廊下の水道の蛇口をきちっと締めていた」。「職員会議で、校長先生がどういうふうなことをおっしゃった」。「教頭先生がどういう役割をしていた」……。こんなことをきちっとやって、それをまとめ直し、学校の管理職というのが有効なかたちで機能するためには、一体どういうことに配慮し、どういう具体の行動をし、そして何を実現していかなければいけないのか、ということをまさに具体に則して見ていくわけです。
それを今度は、教職大学院のコースの演習に持ち出して、「私の見てきたところでは、連携協力校の校長先生はこうしていました。これについて校長先生自身はこの行動をこういうふうに説明しておられました。しかし私は、こういうこともあるかなあ、と思ったりもしています」とか発言させる。そこには、指導者の先生、兵庫教育大学の学校経営のコースだったら学校経営専門のアカデミックな先生もいますが、同時に企業の管理職研修を長くやってきた人もお招きしております。あるいは、校長を経験してきた人もいます。教育委員会で人事をやってきたという人などもいます。そういういろいろな人が、それぞれの自分のバックグラウンドから、そのレポートについて、「やっぱりなかなかいいけれどもね、これは課題だよね」というように議論していきます。
このように非常に具体に則した実習ですが、ただ具体に則すとそのままで終わりがちです。そこで、もうひとつ抽象のレベルを上げてそしてそこから具体の課題、あるいはみんなで考えなければならない具体の問題を抽出していって、「より一層効果的なあり方は何だろうか」ということを議論する。そして、参加者がみんなそれについて認識を深めていく、あるいは自分がその場になったときにそれが実践できるような力を身につけていく。そういう意味での実習を大事にしよう、こういうことです。アカデミックなものも大事にしますが、それはあくまでもプラクティカルなものと裏表になっていかなければならないということです。そしてそれのひとつのあり方として、この実習をインターンシップ的な、あるいは非常に具体に則した、ケーススタディ的な実習をやっていくということです。
教職大学院はこのようにしてスタートし、今年度は19大学でやりました。来年度は四つか五つプラスになります。まだまだスタートしたところなので、私は、これがうまくいっているとか、なかなか大変だとか、現時点では言えないと思っております。ただ今日あとでお話しいただきますが、「各大学でこういうことをもう少し考えていけばもっとよくなるのではないか」という示唆は院生のほうからしてもらえるのではないか、と思っております。兵庫教育大学でも今、四つのコースがありますが、それぞれごとに院生とスタッフで話し合いをしております。そこでは、たとえばこういうことが期待外れだった、といった話もずいぶん出ます。とくに現職の先生から「期待外れ」とか出るわけです。それに対して、「期待が大きすぎたんじゃないですか」といった声が出たりする。
しかしこうしたなかから、次に何をもっと工夫しなければならないのか、というのを浮き彫りにしていくことが大切です。たとえば兵庫教育大学の場合、現職の先生に言わせると、「もう少し具体の指導がほしかった」とか「これやったほうがいいとか、あれやったほうがいい」といった声があります。ところがスタッフの先生から言うと、「それをやったらやっぱり型はめになるんじゃないか」といった意見が出る。やはり大学院ですから、結局最後はひとりひとりが自分でつかむものを大事にしてほしいということです。もちろん、いろいろとサジェッションはします。自分の立場からの問題の指摘はします。しかし一年目ということもあり、これでなければいけないということは言わないようにしてきました。ただ、「これはもう少し強く言わなけらばならない」とか。今、そういう反省の声も出ております。それぞれの大学ごとに違うとは思いますが、一年目にそういう声が出たからまずかったとか、よかったとか、そういう話ではありません。一年目をどう二年目に結びつけるか、どう三年目に結びつけるかです。そして五年、十年した中で、「やっぱりよかったよねえ。学び直しをしたそういう現職の先生が現場に帰って、本当に現場のリーダーになったよね」と言われるようにならなければなりません。あるいはその先生が、「今まで以上に子どもを育てるという、子どもに力をつけるというそういう実践がやれるようになったよね」ということにならなければなりません。
また、「学部を出た人とは違って、やっぱりスーパールーキーといわれるくらいはじめての新卒で現場に行ったけれども、さすが教職大学院を通ってきた人は違うよね」ということが回りからも言われなければなりません。そして本人も自信を持ってやらなければならない。あるいは、他の道に行くつもりだった人が小学校免許を取り直すということで3年もかかって、それで教壇に立った。そうしたら、「よかったよね、この道に進んで」と言われるようになってほしいし、そして「スーッときた人にはそれなりのよさがあるけれども、私たちみたいにちょっと寄り道をしてきたら、また違うよさがあるよね」ということにならなければいけない。年々そういう方向にうまくいけるように、というふうに思っております。
要は、私はこう思っています。今、とっても大事な時期です。どういうことかというと、教師叩きがひどいでしょう。学校叩きひどいでしょう。世の中の人の目から見るとやはり、教師はもっと力があってもいいと思っている。力があるというのはどういうことかというと、簡単です。うちの子を預けたら、もっといろいろなことがわかって、できるようになり、考えるようになって、力がつく。あるいは学校で得たいろいろな経験が、あとで「ああ、大きな意味があったよね」という、そういう思いがあるような、そういう教育になってしかるべきではないか、という世の中の期待がある。過大な期待というのは簡単ですが、やっぱりある。ところが、この20年ほど、ゆとり教育というなかで子どもにまかせすぎて、教材研究も授業研究もすたれ、レベルの高い授業というのはやれなくなってきている。そういうなかで世の中が教師叩きや学校叩きに走ってしまった。私たち弁解するときいつも、学校だって35000も6000もあるわけだから、一つや二つとんでもない学校があったとしてもしかたないと言います。でも世の中から言うとパーフェクトでなければならないのです。先生はみんな立派でなければいけない。学校はみんな、立派でなければいけないのです。
そういう意味でいうと、教職大学院をひとつの突破口にして、再び日本の教師が信頼され尊敬される存在になっていってほしいと思っております。教職大学院だけで、全部の先生をというわけにはいかないけれども、これを突破口にして、そこを出た人たちが現場でリーダーとして学校づくりの中核になっていってほしい。日本の教師は明治以降、信頼され尊敬される存在でした。日本の学校は、信頼され、尊敬されてきました。もう一度、これを回復しなければいけない。もう一度、日本の教師が信頼され、尊敬される存在になっていくためにはやはり、教職大学院が頑張って、その核になる人たちが育たなければいけない。そういうふうに私ども考えておりますし、また3年前に私たちが答申をまとめたときも、教職大学院についての基本的な思いはそういうことです。そういう意味でのリーダーです。口うるさく、あれやれこれやれというのはリーダーではありません。本当に世の中から信頼され、親御さんから信頼され、子どもたちからも感謝される。そういう存在になっていくための実践を自分もつくらなければいけない、学校でもつくらければいけない、地域でもつくらなければいけない。そのためのいわば起動力になるというか、まさに核になるというか、そういうものを育てるのが教職大学院です。教職大学院に今来ておられる方、そういう本当にすごいミッションがありますので、ぜひ思いを新たにして頑張っていただきたいと思いますし、また私も含めてスタッフの側も、より一層、思いを新たにして頑張りたいと、そういうふうに思っております。
どうも、ご静聴ありがとうございました。