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創価大学教育学会>書庫>2008年第7回大会口頭発表抄録
口頭発表A1/教室B401

池田大作とデューイの芸術表現の比較研究
~これからの音楽活動の姿を求める為に~

植田豊(創価大学教育学部 学部生)

1 はじめに

いじめや不登校といった心理的問題を多く抱える今日の子どもたち。その解決の一つの糸口として、情操を養うとされる音楽活動が重要となってきた。 しかし、現代における音楽活動といえば、刹那的、破壊的なポピュラーミュージックが氾濫しており、クラシック音楽や名作とされてきた音楽は、敷居が高いとされ、好んでコンサートやCDを聞く人に限られるようになってきた。 音楽は本来、人間の生活の中から生まれたものであり、一部の人のためのものではない。現在の社会においては、音楽がいかに人に貢献しうるかを誤って認識しており、真に、音楽活動を心の育成につなげられていないように思う。そこで今回は、芸術哲学を理解する理論的視座を得るために、デューイと池田大作の芸術表現を比較研究し、芸術表現の持っている力を捉え、そこから導かれるこれからの音楽活動の姿を求めていく。
 デューイは、芸術論として「経験としての芸術」を著し、教育論も多く著していることから、心の成長という点で、音楽がいかに人間に貢献するかを考えて参りたい。 池田大作は、富士美術館、民主音楽協会を設立し、世界の文化交流を発展させたとして、世界の芸術の大学から称号を受けている。著書として、「青春対話~芸術との語らい~」などを著し、文化活動と教育の関連を説いているので、人間の心のための音楽活動という点を考えて参りたい。
 以上、両者の芸術思想を比較研究した上で、その差異をもとに、文化活動のあり方を探っていく。

2 研究の目的

(1)デューイと池田大作の芸術表現の差異を捉える。(2)これからの音楽を通した文化活動の在り方を探る。

3 研究の方法

 デューイと池田大作の、芸術表現に対してのそれぞれの考え方を、文化的価値、表現実体の側面から比較研究で行う。そして、その差異からこれからの音楽を通した文化活動の追求するための視座を探る。

4 研究内容

(1)文化的価値の差異 (2)表現実体の差異 (3)これからの音楽活動の姿を求める

5 結果・課題

 両者とも、芸術についての文化的価値、表現実体について言及をしている。 デューイにおいて、芸術の文化的価値は、人の精神にいかに貢献しうるかに視点を置いており、人と人との心をつなげること、人の活動への意志を助長することにある、と説いている。彼は、そのことをキリスト教の賛美歌や絵を例に挙げ、述べている。それに対し、池田大作も、同じように、芸術は人々を融合させ、更に思想の差異をも解消できるものである、と説いている。これを、池田大作は、異民族の集まりの中で歌を歌ったときの事例を元に説明をしている。  また、表現の実体についても、両者は人間の精神を表現である、と述べている。デューイは、それを、人間の内面的志向を表すと説き、ゴッホを例に挙げ、風景画が個人の内面性によって変化していくことをあげている。これに対し、池田大作は、それを普遍的なものと個人の融合であると述べ、ルーブル美術館の作品を用い、個人の感動が源となって、普遍的な精神の世界を表すことを、説明している。  以上から、これから文化活動は、場所に囚われず、人に意志を伝え、人と人をつなぐために行われるべきであると考えられる。例えば、演奏活動を、コンサートのみでなく、集会の際に、人を団結させるために演奏を行うこと、などがあげられる。課題として、今回の結論は主に理論研究から得たものであるので、今後は事例を用いた研究も行っていきたい。