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創価大学教育学会>書庫>2014年 第12回大会口頭発表抄録
口頭発表B-3

子どもの事実からみえてきたもの
 ~授業分析を通して見つめなおした、省察の過程~

若林悠恵(教職大学院 教職研究科)

I はじめに

実習研究で1年国語「くじらぐも」の授業をしていた時のことである。授業を進めることに精一杯になっていた筆者は、Tくんの発言の意味をくみ取れずさらりと流してしまった。しかし指導教諭の指摘で、Tくんが言いたかった真意に気付いた。Tくんの考えを子どもたちと共有すれば、学級全体の学びを深める契機となる可能性があった。このことは、教師の予想を超える子どもたちの発想に、素晴らしいものがあることを教えてくれた。子どもの感性や発想を受けとめる教師になりたい。それを生かして深める授業をしたいという願いが生まれた。次の実践では、教材研究を深め、単元構想を練って臨むが、思うような授業にならなかった。なぜうまくいかないのか、その原因と改善を探究するために授業の逐語記録を起した。しかし、その記録を一体どのように見ればよいか、省察そのものを深めることができない自己に気がついた。

ここでは自身の省察の過程を振り返りながら、自己の実践をどのように吟味・検討していけばよいか、について考えていきたい。

Ⅱ 研究の目的と方法

1 目的

子どもの事実に着目し、授業実践をどのように吟味・検討していけばよいか、省察の視点が変化していく過程を整理し考察する。また子どもはどう学んでいるか考察しつつ、授業改善の方向を明らかにしたい。

1 方法

授業の詳細な記録(逐語記録)を、授業分析する。授業分析の手法については、重松鷹泰の『授業分析の方法』(1976年版)にもとづく。次に、学生、現職経験者、研究者を含む授業カンファレンスの場を設定する。カンファレンスから、自己と他者の着眼点の違いに学ぶ。具体的に、どのような子どもの事実に着目しているか、どのような解釈をしているか、解釈の背景にある見方と考え方などの視点の違いをみる。そのような契機から、自己の省察はどのように変化し、その契機は何であるか考察する。さらに省察の深まりから見えてくる授業改善の方向を探究したい。

Ⅲ 研究の経過とその考察

(1) カンファレンス1回目

①教師の発言・発問の多さと子どもの素敵さに気づく。
②記録があっても、印象で語っている。(省察1)

(2)自己の気づきの変容を時間経過(授業前、授業中、逐語記録、カンファレンス後)で振り返る

①子どもの事実から観念的・理論的な言葉でまとめる(省察2)
②どのように記録を生かして吟味するか行き詰る。

(3)子どもの事実と向き合い方の模索

①20枚の記録を一覧するスペースを確保して、授業全体を眺め、視点を決めて、子どもの事実の上に付箋を貼る。(子どものよさ、教師の課題、可能性)
②関係性の把握をめざし、授業を構造化(図に表す)
③構造化は単なる授業の流れではなく、教師と子どもが創り出している。(省察3)
④子どもの動きと背景を理解するために、抽出児3名の学習記録・くらしの様子・座席表等の資料を重ねて考察する。
⑤一つの言葉の背景にある、子どもたちの過程や思いを発見する。(省察4)

(4) カンファレンス2回目

①座席表から子どもの動きをとらえ、発言の背景の解釈や抽出児以外の子どもの動きと周りとの関係を知る。
②教師の課題に固執する自己から子どもにとっての意味を考えるようになる。(省察5)

(5) カンファレンス3回目

①子どもの全体像を知るために、教科の枠にとらわれず、数か月にわたる子どものくらしの姿を重ねて見直す。
②自分を変えながら成長していく子どもの姿がみえてきた。(省察6)

Ⅳ 成果と今後の展望

研究の成果として、一つの授業記録を繰り返し考察すことで、省察を見直すと同時に、教師としての在り方も振り返ることができた。筆者にとって大きな気付きは、一つの発言や一つの授業の背景に、子どもの過程、生活、思いや願いがあるということであった。このように子どもの事実に着目した時に、授業改善の可能性や方向性を見ることができることがわかる。

今後は、教師の役割についての吟味と、子どもの実態から単元をどう構想していくのか探究していきたい。

キーワード:授業分析、省察の視点、子どもの事実

≪参考文献≫
・重松鷹泰『授業分析の方法』明治図書 1976年